2024年5月24日
母(義母)への感謝状
99歳の人生を全うされたお母さん。葬儀では、田村智子委員長の弔電が読まれましたね。
戦前、戦中、戦後を生き抜き。開拓のために旭ヶ丘に入り、山を切り開き、畑を耕し、結核であったお父さんを支え、働きづめの人生でしたね。
「しあわせのうた」は、お母さんに教えてもらったと、克広さんは言います。
日本共産党の候補者として、立候補したお父さん。町議の議席がとれたのは、次の世代にバトンタッチしてからでしたね。
私が長崎市議に初めて立候補した時、半年も長崎滞在をしてくださいました。小1、年中組の子どもの世話から家のことまでやって頂き、私は候補者活動に専念することができました。
それから市議4期、県議5期目と、今の私があるのは、お母さんとお父さんの応援があったからです。お母さんが育ててくれた克広さんと出会い、共に生きてきたからです。
最後は娘の美知代姉さんに看取られて、旅立ったお母さん。長い間お疲れさまでした。そしてありがとうございました。
お父さんとゆっくり話をしてくださいね。